以前の記事では、聴こえない私がどう働いているかを書いてきました。今回は少し場所を変えて、家の中の話です。私には妻と娘がいて、3人家族です。
補聴器をつければ、私はほぼ人並みに会話ができるレベルです。なので、日常のほとんどの場面では困ることはありません。ただ、子育てには「補聴器を外す時間」がいくつかあって、そこには難聴ならではの場面がありました。
この記事では、その中で実際にやってきたこと、そしてあえてやめたことを書いてみます。
この記事でわかること
- 補聴器を外す時間(お風呂・夜)に、実際どうしていたか
- 字幕でテレビを見せていたら起きた、思わぬ副産物
- 手話や手話通訳について、わが家でどう考えたか
お風呂は、はっきりしない会話でちょうどよかった
お風呂に入るときは、補聴器を外します。なので、娘が何か話しかけてきても、何を言っているのか分かりません。
口の動きを見て読み取ろうとしたこともあります。でも赤ちゃんの頃から幼稚園くらいまでは、まだ発音がはっきりしていないので、口の動きだけでは読み取れませんでした。

だから、厳密に聞き取ろうとするのはあきらめました。「これ楽しいね」「これ何だろうね」というような、細かい言葉を追わない会話で十分だと考えることにしたのです。
これは赤ちゃんの頃からずっと続けていて、今は娘も一人でお風呂に入るようになりました。

厳密に聞き取れなくても、楽しい時間はちゃんと共有できていたと思います。
夜泣きを聞き逃さないために、寝るときも補聴器をつけていた
補聴器を外すと、夜泣きの声も聞こえません。誰にでもある悩みだと思いますが、私の場合は、寝るときも補聴器をつけることにしました。
娘が泣いているときは、なるべく気づいて起きるようにしていました。特に授乳期は妻の体力の消耗が大きい時期なので、少しでも支えられればと思って動いていました。

正直、自分も寝不足になった時期はあります。でも今振り返ると、つらかったというより、いい経験だったと思っています。
字幕でテレビを見ていたら、娘が漢字を早く覚えた
テレビは、ずっと字幕をつけて見ていました。生放送は字幕が少し遅れてしまうので、録画番組やアニメなど、字幕がずれないものを選んで見ることが多かったです。

【使用ツール】 WIDEX TV-DEX(テレビの音を、首から下げる受信機経由で補聴器に直接届ける専用機器)
【仕組み】 テレビ本体の音量とは別に、テレビの音声を補聴器で聞ける
このおかげで、テレビの音量自体は気にしていませんでした。テレビの近くにいなくても、首から下げた受信機がある限り、ちゃんと音声を聞けていたからです。
思わぬ副産物もありました。娘は小さいうちから漢字が読めるようになっていたのです。字幕の文字と、聞こえてくる音が結びついてインプットされていたのかもしれません。難しい漢字も、すらっと読んでいたのをよく覚えています。
手話を教えなかった理由、説明会に手話通訳を入れなかった理由
私はもともと手話講師を5年ほど続けていました。それでも、娘には手話を教えていません。
理由は、わが家ではまず日本語でのコミュニケーションを基本にしようと考えたからです。これは、手話を学ぶことがよくない、という意味ではありません。あくまで、わが家がそう決めただけのことです。強制するつもりはなく、娘が学びたいと言えば、そのときに教えるつもりです。
もうひとつ、やめたことがあります。娘の幼稚園の説明会に、手話通訳をつけたいと考えたことがありました。でも、妻に相談したところ、子どもの目線で考えると必要ないのではないか、と言われました。手話通訳がそばにいることで、娘が周りから注目されたり、変に見られたりするのではないか、という心配です。私も、確かにそうかもしれないと納得しました。当時の私たちは、私の聞こえを補うことと、娘が普段どおり過ごせることの両方を考えて、その場では通訳をつけないことにした、ということです。
今は、学校の説明会に参加するとき、その代わりとしてiPhoneのボイスメモを使っています。

【使用ツール】 iPhoneのボイスメモ(文字起こし機能つき)
【仕組み】 音声を録音しながら、その場で文字に変換してくれる
ひとつコツがあります。スピーカーから離れていると、文字起こしの精度が落ちてしまいます。なるべくスピーカーに近い場所にいる状態で使うのがおすすめです。私の場合は、これだけで説明会の内容を追えるようになりました。

手話も通訳も、正解はひとつじゃないと思っています。うちはうちのやり方を選びました。
「今」を撮っておく理由
これは難聴とは直接関係ありませんが、子育てでもうひとつ、ずっと続けてきたことがあります。
子育ては、一日一日がやり直せません。だから私は、写真やビデオをたくさん撮ってきました。

今はそのデータを、家族でiPhoneの共有機能を使って見られるようにしています。家族みんなで写真や動画を見返しながら、「これはこうだったよね」と話せるのは、いいきっかけになっています。時間が経つと、また違う見え方をすることもあります。
私自身は、スマホの待ち受け画面を娘の昔の写真に何度も変えています。仕事の合間に、ふと目に入って振り返る。そんな小さな習慣です。
難聴だからできない、ではなく、難聴だからこそ
ここまで書いてきたことを振り返ると、共通しているのは「できない」で終わらせなかったことだと思います。
補聴器を外せば聞こえない。それなら、寝るときは外さない。厳密に聞き取れない。それなら、細かい言葉を追わない会話にする。説明会で通訳をつけるのが合わない。それなら、ボイスメモを使う。
難聴だから何もできない、と決めつけるのではなく、難聴だからこそ、別のやり方を考えることができると思っています。
大事なのは、できないと決めつけずに、できる方法を探してみることです。そして、それは一人で抱え込まず、パートナーと相談しながら決めていいことだとも思っています。
まとめ
補聴器を外す時間には、確かに難聴ならではの難しさがありました。それでも、やり方を変えれば、ちゃんと子育てはできています。
手話を教えなかったこと、説明会に通訳を入れなかったこと。どちらも難聴のせいではなく、私たち夫婦なりの判断でした。
難聴だからできない、ではなく、難聴だからこそ。子育てでも、その考え方は変わりません。

今日も、できることを一つずつ。それでいいと思っています。

