難聴の私が、ボーイスカウトで教わった「まずやってみる」ということ

40代のメガネと補聴器をつけた男性が、街を見渡しながら小学生時代のボーイスカウトの思い出を振り返っている様子

私は両耳とも難聴があります。今はiPhoneから補聴器へ音を直接届けたり、会議は字幕に頼ったりしながら、自分のやり方で働いています。この「自分で決めて動く」という感覚が、いつどこで芽生えたのかを振り返ると、小学2年生の秋、渋谷のある団でボーイスカウトを始めたときにたどり着きます。

この記事でわかること

  • 難聴への配慮があっても、挑戦する機会は変わらなかった具体的な体験
  • うまくいかなかったことに、どう向き合ったか
  • 「まずやってみる」という姿勢が、今のAIの使い方にどうつながっているか

やりたいことを自分で選んでいい、という空気

ボーイスカウトに入って感じたのは、「難聴があるから、これはやめておこう」と線を引かれることがほとんどなかったことです。普段の生活なら親が先に手を出してしまうようなことも、そこでは自分の判断で「やりたい」を選ばせてもらえました。

たとえば工作の時間、私は木で剣のようなものを作ってみたいと思い、実際に作りました。うまくできるかどうかより先に、まず自分で決めて手を動かす。子どもだった当時は、それがどれくらい恵まれた環境だったのか分かっていませんでしたが、今振り返ると、この「まずやってみる」空気の中に置いてもらえたことが、私にとって大きな土台になっている気がします。

ボーイスカウトの制服を着た小学生の男の子が、木で剣のようなものをナイフで彫っている様子

班長になって考えたこと

年齢が上がると、私は班のリーダー役(班長)を任されるようになりました。そうなると、自分だけでなく、下の学年の子たちにどう接すればいいかも考えながら取り組む必要がありました。

進級して出し物を決める役割が回ってきたときは、クリスマス会の出し物を親と相談しながら決めました。そのときにやったのは「笠地蔵」です。何をやるか、どう進めるかを自分たちで考えて、親にも協力してもらいながら形にしていく。この経験も、今の私の「自分で決めて、周りに相談しながら進める」というやり方に近いものがあります。

ひらめいたカワウソ
とおる

班長になった時は、下級生とどう接するか、けっこう考えました。

ボーイスカウトの制服を着た男の子が、笠地蔵の絵を指しながら仲間の前でクリスマス会の出し物について発表している様子

「のれん作り」と夜の肝試し

キャンプでいちばん印象に残っているのは、「のれん作り」と呼んでいた小屋づくりです。ロープで骨組みを作り、そのあたりの雑草を刈って束ね、骨組みにかけていく。道具も材料も、その場にあるものを使う。大人と協力しながら、自分たちの手で家のようなものができあがっていく過程が、単純にとても面白かったのを覚えています。

ボーイスカウトの子どもたちが協力して、ロープと雑草で骨組みに小屋(のれん)を作っている様子

夜には肝試しもありました。家から離れてこういう体験をすることは、ボーイスカウトでなければできないことでした。応急処置のように、いざというときのために学ぶこともあり、できるようになるとワッペンがもらえる仕組みも、ちょっとした目当てになっていました。

夜、懐中電灯を持ったボーイスカウトの男の子たちが森の中を歩いている肝試しの様子

できなかったことも正直に

うまくいかなかったこともあります。入団のときに言う誓いの言葉が、私にはうまく聞き取れず、覚えることができませんでした。それでも、そのせいでボーイスカウトから外されたわけではありません。できないことがあっても、参加する機会そのものは失わなかった。今は、この誓いの言葉のことを苦手だとは思っていません。

親も一緒に活動に参加していましたし、大人の隊員がフォローしてくれる場面もありました。耳のことは周りの大人もわかっていて、必要なときにはフォローしてくれました。でも、「難聴だからこれはやめておこう」と、挑戦する前から外されることはありませんでした。配慮はあった。でも、機会を奪われることはなかった。この違いが、私にとっては大きかったのだと思います。

ふつうの表情のカワウソ
とおる

配慮はしてもらいました。でも、挑戦させてもらえなかったことは一度もないです。

難聴だからこそ、この経験が今につながっている

ボーイスカウトで過ごした時間を振り返ると、周りの大人たちは、難聴があることを知りながらも、それを理由に私の挑戦する機会を先回りして閉じることをしませんでした。「難聴だから難しいだろう」と先回りして止めるのではなく、まずやらせてみる。

そもそも入団のきっかけは、父の勤め先(会社が社員の子どものために用意していた制度)を通じてボーイスカウトの案内が届いたことでした。両親がその話を相談して、私に提案してくれたのだと思います。難聴があるからと迷わずに提案してくれたこと、そしてそこから先は私自身が「面白そうだ」と思って入っていけたこと。この両方があったから、あの経験につながったのだと感じています。

うまくいかないことがあっても、それも含めて経験させてもらえた。この積み重ねが、今の私のやり方の原点になっています。できるかどうかを考え込むより、まずやってみる。今、仕事でAIを使うときも同じです。実際、文字起こしアプリを何個も試してTeamsに落ち着いた話も、やってみてから合う・合わないを判断した結果でした。難聴だからと理由をつけて手前で線を引かないやり方は、あのときからずっと変わっていません。

難聴があるからといって、やる前から自分で線を引く必要はない。できないことがあれば、そのとき考えればいい。それが、この経験から今の私が言えることです。そして、子どものころの私にそうさせてくれた両親には、今になって感謝しています。

お辞儀をして感謝しているカワウソ
とおる

今の自分があるのは、あの頃「やらせてもらえた」からです。

この記事が良かったら、下のボタンでシェアしていただけると嬉しいです。感想やご質問は、お問い合わせからどうぞ。
この記事を書いた人
とおる

両耳が聞こえにくい会社員です。障害者雇用の枠で働きながら、副業でせどりもしています。
聞こえないぶんは、AIと仕組みで補っています。補聴器とiPhoneを直結し、会議は字幕を使い、面倒な作業は自動で終わらせる。そんな日々の工夫を、専門用語なしで書いています。
妻と中学生の娘との3人家族です。

とおるをフォローする
聴こえないこと
とおるをフォローする
タイトルとURLをコピーしました